5歳になる甥と一緒に絵本を読みました。けれど、こちらが心配になる程の速さでめくってしまいます。もちろん、物語など瞬く間に終わってしまいます。一体どういう事なのだろう?
絵本のリストはこちら。
ものすごい速さで読み飛ばしてしまう
本当に、瞬く間にめくってしまうのです。物語がつまらないのか? 早く結末を知りたいのか? 本当は読書自体が好きではないため、その時間を早く済ませてしまいたいのか?
もっともその子のお父さんの話では、家では絵本をよく読むし、本人も好きだと言っているそうなのです。うーん。
後になって考えてみると、私はその子の求める本よりも、簡単な絵本をさしだしていた気がしました。また、絵本を囲んで眺めてはいるものの、読みあげられてはいなかったのです。
その事が結果として「本人が読み飛ばす」というスタイルにつながっていた気がしました。
そう思うと、もっと工夫の余地があった気がして、次の機会にはもう少し、楽しい絵本の体験をさせてあげたい気がしました。
この先がどうなるのかを知りたい
そのとき読んでいたのは、『あかくんまちをはしる』『あかくんでんしゃとはしる』でした。
それぞれの絵本を読みながら、お気に入りのミニカーと、物語の乗り物と、一緒に遊ぶように過ごしていました。
そうして、遊ぶこと自体は大変喜んでいたのですが、絵本はというと、いまひとつの反応だった気がしたので、私は以下の質問をしました。
「この本は楽しい?」と聞くと
「とても楽しい」と言う。
「もう一度読みたい?」と聞くと
「もういい」と言う。
「どういう本だったらもっと読みたいと思う?」と尋ねると、
「この先がどうなるのかを知りたい。この本はそれがよくわからない。」との事でした。
私は、すごい返事だと思いました。
好奇心の成長
くれぐれもお伝えしたいのは、この2冊が、よくない本だというのではありません。
絶対にありません。
ただ、この本を読むには、甥がその年齢を超えてしまったのだと思いました。半年、もしかすると3ヶ月前だったらきっと、とても喜んだと思います。そして、子供の心の成長というのはそのくらい、刻一刻と進んでいるのだと思いました。
同時に、そういう背景があっての感想が、【とても楽しい】&【もういい】なのだと思いました。
車が好きだったり、電車が好きだったり、裏に「何歳向け」と書いてあったり、そういう適正は一致してはいた。けれど、知りたいと思う気持ちに応えて、世界をひろげてくれる、というところでは、いまひとつ違ってきたのかなと感じました。
そう思うと、私は自分が甥くらいの年齢の頃、絵本の抽象的すぎる部分に、似たようなことを感じた気がしました。
クリスマスの絵本
そして、直近がクリスマスだった事もあり、絵本のプレゼントを思いたちました。
とはいえ、改めて検討すると、何がベストなのか見当がつかない。
そうして、私は手始めに、図書館でいくつかの絵本を借りることにしました。その時の候補にあがったのが、こちらのリストです。
今思うと、だいぶズレていた気がします。
年齢よりも早すぎるもの、遅すぎるもの。本としてはこの上なく素晴らしくても、関心や興味の問題で無理かもしれないもの。
たとえば、安野光雅さんの本は大変すばらしいものですが、どう考えても小学生にならないと難しいと感じました。
それだって、大人がそばにいて、良い伝え方をしてあげて、さらにその上で、本人から自主的に「これを読みたい!」と言われる必要があると感じました。
そう思うと、私は甥を喜ばせたいと思っても、甥が何を喜ぶかを、全く知らないのだと感じました。
大人にも届いたもの
もっとも、そうしたいきさつの全てが、無駄に終わる訳でもありませんでした。
大人である私と私の家族の間でも、絵本を選ぶ楽しさを共有していたからでした。
たとえば、『ふしぎなたね』は今見ても、あるいは今見たほうが、心の栄養になるような、はっとする美しさを感じました。
カステラが嬉しいのか、本が嬉しいのか
そうこうするうち、わからないなりに贈った本が、『ぐりとぐら』『じめんのうえとじめんのした』でした。
一緒に、福砂屋のカステラもプレゼントしました。
「じぶんでつくると楽しいよ」「みんなで食べると楽しいよ」「動物も植物も生きているよ」を、伝えたかったのです。
その結果。『ぐりとぐら』は、福砂屋効果もあって、喜んでくれた気がします。
『じめんのうえとじめんのした』は、ほぼ、無反応だった気がします。
ならばいっそのこと
(私は、自分の信念をおしつけてしまったのだろうか?)
少しの間、他の物のほうが良かったのかなと、考える事もありました。けれど、そうした問いはあまり意味がないと思いました。
それよりも、次回はさらに、よりその子にフィットする、楽しさを感じられる絵本の時間を過ごせたらと思いました。
そういう決心自体、おしつけになる可能性もあるのですが、私はいくつかの決め事をしたうえで、そのように思いました。
最初の暫定目標は、「もう一度よみたい」と言ってもらうことです。
ゆっくり、進めたいと思います。
■今回の8冊
あかくんまちをはしる | 作・絵:あんどう としひこ
あかくんでんしゃとはしる| 作・絵:あんどう としひこ
ぐりとぐら | 作:なかがわ りえこ 絵:やまわき ゆりこ
そらいろのたね| 作:なかがわ りえこ 絵:やまわき ゆりこ
じめんのうえとじめんのした | 作・絵:アーマE・ウエバー 訳:藤枝 澪子
たねのりょこう| 作・絵:アーマE・ウエバー 訳:滝沢海南子
ふしぎなたね | 安野 光雅 著
10人のゆかいなひっこし | 安野 光雅 著
追記
この文章を、書いたり準備している間に、安野光雅さんが94歳でなくなりました。
あの淡い色づかいとやさしい雰囲気を、もう見れなくなってしまうと思うと、本当に残念です。
大きな仕事を果たされてきた方に対して、嘆くことは失礼にあたりますが、それでもやはり、とても寂しく感じます。
詩人の谷川俊太郎さんは、安野光雅さんのことを、「作品の中に合理主義的なところと叙情的なところが同居していて、見れば一目で安野さんが描いたと分かる、そんな絵を描く人でした。とても豊かな人柄で、安野さんと一緒に仕事ができたことは自分にとって幸せなことでしたとお伝えしたいです。」とおっしゃっていっていたそうです。